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後輩の育成が難しい?それでも「人を育てる」という意識は大事という話。

学生時代からの部活動や会社員として社会生活を送り、そしていまはフリーランスという個人のお仕事をしています。これらの経験のなかで、私は「人を育てる」という意識がいかに大切かを学んできました。これは、例えフリーランス、起業家という働き方なっても同じだと感じています。

「優秀」ってなんだろう?

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私は3、4歳から22歳(大学卒業)までチームスポーツを経験し、大学卒業後は会社員として働きました。人生のほとんどを「組織」のなかで鍛えられながら私は色々なタイプの先輩や上司を観察しながら思春期を過ごしました。

そのなかで「優秀」という言葉について深く考えさせられる出来事が何度もありました。

たとえば部活動においても「キャプテン」「エース」「スタメン」という、わかりやすく“目立つ人”イコール「優秀な人」という認識があるように思いますが、果たして本当にそうなのだろうか?というのが今回の問題提起です。

私の思う「優秀な人」は、下を育てるという意識のある人です。

なぜそう思うようになったのか?というのは、私の会社員時代の話に起因します。

めちゃくちゃ優秀だった人事部部長。

大学卒業後、私はとある商社に入社しました。当時の人事部長は社内でも「めちゃくちゃ優秀」な人でした。

当時はあまり気がついていませんでしたが、入社後会社のなかでエース格として働いている人達は、ほぼすべてこの人事部部長が採用していたのです。

人を見る目がある。採用における全権限をもっている。

あれだけの規模の会社で、これは相当にすごいことです。

当時も、唯一その方だけが「部長」クラスで現場にても採用権限をもちながら自由に動きまわることができ、更に「あの人が採用した社員はみんな若くして出世する」という定説が浸透しているほどでした。

もっとすごいことに、この人事部長が採用権限をもつようになってから、明らかに会社の業績が伸びていると聞きました。人事採用というのは成果が目に見えにくい職業のうちのひとつですが、そんななかで「採用」の重要性が際立つほどその人には才能がありました。

そして、私を採用してくれたものその人でした。(たった1年半で辞めてごめんなさい)

私たちの代で人事部長は引退。これまでの採用実績が認められ、次は役員へと出世をすることになりました。なので、私たちの次の代からは、人事部長の部下が担当することになりました。

が、ここで、ひとつの問題が浮上します。

部下がまったく育っていなかった。

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人事部長はたしかに優秀でした。

その才能が故に、若い頃からずっと人事を担当し、現場でも権威を奮っていました。「すごいなあ」というのが正直な感想でしたが、実はそうではなかった。

まったく部下を育てることのできない人だったのです。

聞いたところによると、これまでその人事部長の下についた社員が立て続けに会社を辞めてしまうんだそうです。詳しいことは分かりませんが、たしかに誰一人として「次世代の人事部」は育っていませんでした。

じゃあ、人事課はどうなったか?というと、こんな調子でしたから、部長の現場引退後から明らかに質が下がっていると聞きました。もちろんこの見解も誰かの主観にすぎないので、どこまで問題視しるかはまた別の話だとして。

ただ、人事部長が人事課として勤務しはじめてから、恐らくすでに10年以上が経っていたはずです。そのことを考えると、「10年間でひとりも部下が育っていない」というのはどうなのかな?と深く考えさせられました。

次世代が育たないと、組織は成長しない。

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短い会社員生活のなかで、実は私が一番心に残っているのがこの「人事部長の活躍出世による退陣次世代の未発達人事部の衰退」という一連の出来事を見ることができたことです。

このとき私は、「どんなに本人が優秀でも、その経験やナレッジを元に次世代を育てないと、組織人としては意味がない」と思いました。

たしかに優秀や社員やスーパーエースがチームに存在していたとしても、その人達が存在する一世代は良いかもしれません。でも、人はかならず衰え、現場から退き、そしていつかは死んでゆく存在です。終わりがある生き物なのです。

終わりがあるからこそ、次世代を担う存在に自分の価値観、考え方、経験、知識を継承していくべきなのかなと思います。「次世代を育てる」というのは、大小問わずコミュニティのいち構成人として大切なことだと。

ただ、これは組織、チーム、あるいはコミュニティという場での考え方なので、昨今のような「フリーランス」という完全な個人としての働き方にどれほど通用するのかはまだ未知数です。

とはいえ先程も言いましたが、人はいつか衰え、現場から退いていきます。自らプレイヤーとして学んできたことを継承する存在がいなければ、その輝きの灯火は一世代で消えてなくなってしまいます。

「次世代育成」が如実に問われる学生部活動

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たとえば私は学生時代ずっとチームスポーツをやっていました。「◯◯大学◯◯部出身」という経歴は一生ついてまわるものです。自分が一度所属した組織というのは、言ってしまえば自分の人生の一片を担います。

ですから、部活というのは「自分が在籍中に活躍する」「自分なりの役割を担う」ことが大切であると同時に、「次の世代を育てる」「後輩により良い環境を残す」ことがおなじくらい重要な課題として課せられるわけです。

だから、学生の体育会って引退して何十年経っても「OG会」というような形で卒業生がいまだに会費を払っていたりますし、社会人になって誰も知っている現役生がいなくなっても、同期みんなでチームの応援に行ったりするわけですね。

よく考えてみたら、「◯◯大学◯◯部」という長い歴史のなかで、“自分”という人間がどんなに頑張ったって4年間しかいられないのです。それよりも大事なのは、「自分が去ったあとに何を残すことができるのか」ということなのだと思います。

上述したような会社員としての在り方と似通っているものがありますよね。

それでも、自分だけが活躍できれば良い、という人。それではいけないと考える人。価値観は人それぞれだと思いますし、正解はありません。あなたはどちらでしょうか?

いつまで経っても「可愛がって欲しい」は通用しないと心得る。

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私は今年28歳になり、いよいよ20代ラストスパートです。この年齢になると、20代前半では見えてこなかったことが次々と見えてくるようになります。

その代表的なものが「歳上に可愛がられることはできても、歳下を可愛がるのが得意じゃない人が意外と多い」ということです。

その前に余談ではありますが、私は完全に個人主義者なので、基本的に上下関係とか歳下・歳上、先輩・後輩というボーダーを設けるのが好きではありません。なのでここではふわっとした抽象的な概念として聞いてもらえればと思います。

ただ現実問題、部活でも会社でもどこのコミュニティでも、「先にいた人」は存在します。それをここでは一応「先輩」という言葉で定義しますが、そういう「上の立場の人」から可愛がってもらうことも大事です。

事実、私は起業してから今日まで歳上で自分より経験があり、わがままは自分を面白がって可愛がってくれる人がいたからこそ、今の自分がいます。だから、人に“引き上げてもらう”ということは勿論あって然るべきだと思っています。

しかし、先輩をはじめとする歳上や上の立場の人達も、いずれ衰え退いていきます。自分自身もどんどん歳をとっていきます。そのときに「自分はもう下を育てなければいけない存在なのだ」ということに気が付けないと、苦しい。

なぜなら、いついかなるコミュニティであっても、健全に機能している限り目上の者は引退・卒業していき、目下(若い存在)が台頭してくるからです。

そのときに、「歳上に可愛がられたい」マインドの人はどんどん居場所がなくなっていきます。自分を可愛がってくれる人はどんどんいなくなっていきます。だから、後輩や歳下に愛される存在でなければ、自分が辛くなるのです。

人はすぐに歳をとります。

ある程度歳を重ね、後輩や歳下が増えてきたら「次世代を育てる・見守る」「次世代にナレッジを継承する」「自分とおなじ苦労をしないようアドバイスする」などの意識を育んでおきましょう。

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