こんにちは。Hitomiです。「見た目と性格のギャップに悩んでいる」という相談を、ここ数日で何人かのクライアントさんや女友達からも受けました。今日は、そんな悩みについて私が考えることを書いていきます。
「見た目と性格の不一致」という悩み。
たまたまだと思うのですが、ここ数日間で、「見た目と性格のギャップに悩んでいる」という相談を何人かの女性から受けました。あ、そんなことに悩むものなんだあ、というのは私のなかで新しい発見でした。私はたぶん、見た目と性格が一致している方なので、「第一印象と全然違う」ということを言われたことは一度もありません。
それが良いとか、悪いとかではないのですが、意外と(特に女性は)やはりルックスと性格の不一致に悩まれる方が多いものなんだなあと感じました。
たしかに、言うほうは悪気はないのかもしれないですが、「最初思っていたのと違う」というセリフを、異性や友人から投げかけられたら、そりゃ気になりますよね。
そこで今回は、そのような相談を受けて、私が考えていたことを綴っていきます。
期待に答えたくなる本能。
女性は男性に比べると当然ながら「見た目」に気を使っています。もちろん人間は見た目がすべてなどではありませんが、性別問わずルックス(清潔感とか)は非常に大事だし、大事であると考えるべきだとも思います。
「すこしでも良く見られたい」と思うのは当然のことです。
で、「見た目と性格の不一致」で悩んでいる方のお話を聞いていたときに思ったのは、「周りの期待に答えよう」という気持ちが強いんだなと。たとえば、会社員であれば、営業だったら印象が良いほうが有利に働くのはあたりまえだし、気配りができる方がいると飲み会が盛り上がったり、笑顔を振りまいていると可愛がってもらいやすくなったり、要は、その場その場に応じて「期待されているキャラクター」を演じてしまう傾向があるのだと思います。
でもそれって、全然悪いことなんかではなくて、素晴らしいことだ私は思います。
問題は、「周囲の期待に答える」ということの連続で本人が疲れてしまうこと、ですね。演じる癖がついてしまうこと自体は、社会人として然るべき姿ですから。
じゃあ、どのように考えていったら、その「ギャップ」をコンプレックスじゃなくすることができるのでしょうか?
「偽り」という感情との向き合い方。
かくいう私も、会社員のときは“演じる”ことにめちゃくちゃ疲れていました。「見た目と性格の不一致」まではいかないものの、明らかに無理をしてノリの良いフリをしたり、楽しいフリをしたり、なついてるフリをしたりと。毎日モチベーション高いフリしてましたしね(笑)
それも行き過ぎると、「本当の自分ってどこにいってしまったんだろうか?」という虚しさが襲ってきます。演じることに慣れすぎると、演じている自分にものすごい嫌気がさしてしまうんです。「本当はこんなんじゃないのに」とか「自分を偽って過ごしている」みたいな虚無感がやってきます。
これが限界を越えたときに、本格的に精神を病んでしまうので、そうなる前に対処したい。
私自身は、全く我慢強い性格じゃないので、こういったギャップに心が病むまえに退職という道を選びました。そして、起業という道を選択し、今は「演じている」という違和感みたいなものを一切排除した生活を送っています。
そこで、感じていることを正直に言います。
結局、どこまで行っても、人は、必ず「自分」を演じます。
それは、別に環境のせいではありません。その場その場の雰囲気や相手の性格・顔色・テンションに柔軟に対応しようとする、いわば一種の「社会性」です。みんなそんなものだと思うんです。「演じる」イコール「偽り」ではないのです。
もちろん、常に素でいられてツルッとした性格だったらベストなのかもしれませんが、人間ってそんなに単純な生き物ではありませんよね。多くのコミュニティに属し、多様化する社会のなかでなんとか生き延びようとする、生物としての本能なんです。
だから、悩む必要はありません。みんなそうだから。
「本当の自分」という考え方について。
さて、私の会社員時代の話の続きになりますが、
毎日演じることに疲れていた私は、しばらくの間「本当の自分はどこにいるのだろうか」と模索していた時期があります。会社員のときもそうでしたし、起業して、それなりに自由に働けるようになってもしばらくは、そんなことを考えていた時期がありました。
そんなときに、たまたまこの本をAmazonで目にしました。はあちゅうさんの著書で、「自分の強みをつくる」という本です。
その本の紹介にこんなことが書いてありました。Amazonページの「商品の説明」欄にも書いてあるのでよかったら読んでみてください。
特別な才能もない、自信がない、自分のことが大嫌い。
ネガティブ思考で、コンプレックスばかりの私は、「はあちゅう」というキャラクターを演じることで、自分の仕事をつくっています。
本当の自分なんて探してもどこにもいない。“なりたい自分”を“自分”にしちゃえ。
私は、この本を読んで、ハッとしたんです。
「本当の自分なんて、いないんだ」と。
飲み会でやたらと騒がしい自分、しっぽりしたい気分の自分、大人数でワイワイすると疲れる自分、だけど楽しんでる自分もいる、ひとりで家でゆっくりしていることが好きな自分、しょうもない自分、だらしない自分、ポジティブシンキングな自分、ネガティブな考えが頭をよぎる自分、見た目からは想像もできない趣味をもつ自分、非社交的な自分、めちゃくちゃ社交性を発揮する瞬間の自分。
どれが本当の自分なのか?そんなの、考えても答えは出ない。
全部、本当の自分だからです。
「本当の自分」っていうのは、別に特定の性格やキャラクターを指しているわけじゃないし、どこか特定の一部分を表しているものじゃない。人って、色々なスポットの当て方があるんです。それらすべてが「本当の自分」なんです。
だから、本当の自分なんて探しても見つからないし、答えなんか出るはずがない。今の自分がもっているすべての多面性が、本当の自分だからです。
はあちゅうさんの「自分の強みをつくる」。ぜひ読んでみてください。超良いです。
自分という人間を受け入れる。
では、「見た目と中身にギャップがある」「本当の自分がどこか分からない」という悩みについて、どう向き合えば良いか。これは、私は「自分という人間を受け入れる」ということに尽きると思います。好きとか、嫌いとかじゃなくて、まず受け入れる。
そして、自分という等身大の自分に自信がもてない限りは、ずっとギャップに悩み続けることになるでしょう。
たとえばですが、ものすごく顔の可愛い女性が、これまでの人生で「可愛くあること」の期待に答えすぎて、「本当はめちゃくちゃ男っぽい性格」であることにコンプレックスを抱えているパターン。これ、実はけっこう聞きます。
でも、実際はどうでしょうか?
見た目は女の子っぽいのに性格はサバサバとか、趣味が男性っぽいとか、そういうのって、すごく魅力的なんじゃないかなって私は思うんですよね。
「ギャップ」や「不一致」っていうのは、本人が思っているよりもその人の魅力や奥行きを感じさせるものだし、むしろ「もっと自分の知らないこの人がいるんじゃないか」って、興味をそそるきっかけにもなると思います。
問題は、その本人がギャップを「魅力」だと捉えられていないだけなんじゃないのかなと。
これはもう、本人の心の問題なので、踏み込むことはできないのですが、大前提としてはせめて
- 本当の自分を受け入れること
- 真の自分が好きである
これくらいの心の余裕がないと、ずっと外部の期待に答え続けることに苦しむ人生が待っているかもしれません。
特に女性だったり、現代の若者に多い悩みのひとつでもある「見た目と中身にギャップがある」「本当の自分がどこか分からない」という悩み。
なかなか難しい問題ではありますが、すべて本当の自分なのだし、それを受け入れることからまずは始めてみましょう。